It’s more important to be excited than to be exciting.

 「私はわくわくしています」を英語にする問題で、多くの生徒が I’m exciting. と間違えてしまいます。正しくは I’m excited. で、自分が何かによって「わくわくさせられている」という受動的なニュアンスの表現です。生徒には、exciting は「(話し手が)誰かをわくわくさせる」という意味合いになり、自分が「わくわくする」場合は excited を使うのだと指導しています。「私は感動している」が I’m moved.、「私は興味を持っている」が I’m interested. となるように、英語を教えている方なら、同様の表現がいくつも思い浮かぶことでしょう。

 昨日も中学3年生に exciting と excited の違いを説明する中で、ここ数年、私が教育の現場で感じていたある種の違和感の正体について、はっと気づかされることがありました。

 昨今、映像授業の導入が盛んに推奨され、塾を運営していると、毎週のように営業の電話や郵便物が届きます。著名な知識人が「学校の授業も、指導力の高い教師の映像授業に切り替え、教師は生徒のサポートに徹することで個別最適化が実現できる」とメディアで発言するのも目にします。利便性や授業の質の均一化という点では合理的な考え方かもしれませんが、私は素直に首肯できないでいます。双方向性のない一方的な授業では、知識は伝わるとしても、生徒の学習意欲を引き出すのは難しいのではないでしょうか。むしろ、教師と生徒、あるいは生徒同士が対話し、共に学ぶ環境こそが、知識を真にいきいきとしたものとして定着させるのではないかと感じています。お互いの葛藤を感じ合うことも、いい体験となるでしょう。

 幼い子供にとって、最良の教育者は多くの場合、その子の親でしょう。たとえ初めての子育てで、特別な教育知識や技術を持っていなくても、常に我が子に目を向け、その成長や発見の一つひとつに「わくわくする!」と心から感動する親の姿勢こそが、子供の生きる意欲や学ぶ意欲を育むのではないでしょうか。

 視聴者を引き込む「exciting」な映像授業も、補助的な教材としては有効かもしれません。しかし、それ以上に子供たちに必要なのは、一人ひとりに真摯に向き合い、「成長を楽しむ」「努力の先の結果にわくわくするよ」という「I’m excited」な姿勢で接してくれる教師なのだと、私は思います。

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