ニューヨーク市も教育用AIアプリ40種を中止。個人塾で考える「本当に必要な試行錯誤」

 先日、電子版を購読している十勝毎日新聞から「AIと教育に関するアンケート」のメールが届きました。
普段ならこうしたアンケートにはあまり回答しないのですが、なし崩し的にデジタル教材が子どもたちの学習へ浸透していく現状に強い危惧を抱いていたため、自分の思うところを率直に記入して返信しました。

 すると、後日取材の依頼が入り、紙面に私の考えのごく一部が掲載されることになりました。
 全4回の連載記事の第一弾として、「小中学生がAIを学習で使用することの弊害」についての私の意見が取り上げられました。なお、残りの3回ではAI学習の利点や現代社会における必然性などが述べられていました。

 当塾「学問のススメ」は小さな個人塾であり、広告宣伝活動は一切行っておりません。通塾生や卒塾生のご紹介・口コミのみで生徒が集まってきます。そのため、最初から当塾で学び始める子ばかりではなく、途中で他塾から転塾してくる子もいます。
 そうした生徒たちの中でも、小学生の頃から他塾で「AIタブレット教材」を使って学習してきた子どもたちの「読解力」や「粘り強く思考する力」に対して、私はかねてより疑問を感じていました。
 そこで今年4月の「道コン(北海道学力コンンクール)」の際、AIタブレット教材で学習してきた生徒5名と、そうではない生徒44名の平均点を算出し、比較を行ってみました。

500点満点のテストです。結果はどうだったと思われますか?

 なんと、AIタブレット教材で学習してきた子どもたちの平均点は、そうでない子どもたちより「146点」も低かったのです。
 AIタブレットで学んできた生徒たちは小学生の頃から塾に通っていたのに対し、そうでない生徒たちの多くは中学生になって当塾で初めて塾に通い始めた子たちです。
 教育機関に費やした費用や時間を考慮すると、お世辞にもコスパやタイパが良いとは言えません。むしろ「AIで無駄を省いて効率的」というイメージとは真逆の結果となりました。
 その後、当塾の学習スタイルに馴染み、各種テストで着実に点数を伸ばしていく生徒もいます。その一方で、「正解にたどり着くまで自分の頭で考え抜き、講師に質問しながら泥臭く解く」という姿勢が身につかず、イライラしてしまったり、休憩時間のスマホゲーム以外は思考が「省エネモード」のままになってしまい、なかなか結果に結びつかない生徒もいます。

 誤解のないように申し添えますと、私はAIの活用を完全に拒否しているわけではありません。当塾では毎年大量の教材を作成していますが、アイデアはあっても人手や技術不足で形にできていないものもあります。自分自身のAI活用スキルは高めていきたいですし、機会があれば積極的に学びたいと考えています。また、生徒向けのデジタル教材やAI教材の進化にも常に注目しており、将来的に子どもたちにとって真に有用なものが登場することには期待を寄せています。

 しかし現状では、スクリーンタイムが長くなることによる弊害のほうが遙かに大きいと感じています。学校や家庭でのデジタル機器の使用時間を考えると、あえて塾という場所においては「講師が黒板を使い、生徒が紙の教材と愚直に向き合う時間」をしっかりと確保する必要があるのです。

 そんな中、最近とても気になったニューヨーク発のニュースがありました。 
 米ニュースメディアによると、ニューヨーク市のゾーラン・マムダニ市長は、同市の教室で児童・生徒が利用していた約40種類の教育用AIアプリの使用を中止すると発表しました。

 マムダニ市長は次のように語っています。
子どもたちが学び、成長するためには、教師との人間的な交流が必要だ。同年代の仲間と共に才能を伸ばし、教育者との関係を築くことで、難しい問題を自ら解決していく過程が必要である」  
 さらに、こう付け加えました。
テクノロジー業界は『AIを活用した早期教育は避けられないだけでなく不可欠だ』とわれわれに信じさせようとしている。しかし、われわれはそう考えていない

 また、同市教育局のカマー・サミュエルズ教育局長もこう強調しています。
子どもたちは難しい問題に取り組み、間違え、再び挑戦して、ついに正解にたどり着いたときに最もよく学ぶ。いかなるアプリやチャットボット、アルゴリズムも、子どもにとって有意義な試行錯誤に取って代わることはできない

 この市長と教育局長の言葉は、当塾での試行錯誤と泥臭い勉強を通じてたくましく成長していった子どもたちの姿と、完全に合致するものです。 
 便利さの裏にある「本当に育むべき力」を見失わないよう、人間同士の対話を大切にした指導を続けてまいります。

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