熊の出没が収まることを願いつつ

知識は頭の引き出しに収まりますが、知性はそれを使いこなす心の器に宿ります。

心が広い人ほど、その器のスペースを有効活用し、知識と経験を結びつけ、知恵を生み出します。この知性を育むことこそが、人としての成長です。

しかし、心が狭く自己中心的な人が知性を欠くと、他者を尊重しない恐ろしい言動が目立つようになります。それは、知性や理性を持たぬ野生の熊が、街で人を襲うというニュースを聞くのと、同じような戦慄と悲しさを覚える状況です。人間らしさとは、理性と知性にあるからです。


真の学びとは、単に知識を詰め込むことではありません。

人の気持ちや立場を考えることができるようになれば、試験問題の背景にある「出題者の真意」まで深く理解できるようになります。これは、相手の心に寄り添い、目的を達成するための高い読解力と社会性に繋がります。


もし、相手の心に身勝手で支配的な感情を感じ取ったなら、ただちに心の境界線を守るリテラシーを発揮しても構いません。ただし、不毛な争いを挑むのではなく、精神的な安全を守るために、その悪縁を断ち切る「心の勇気」を持つことが大切です。

たとえ一緒に遊び、笑い合っていても、ふと寂しさを感じたり、自分の心がさもしくなるように思えたなら、その違和感や不快感を見過ごしてはいけません。心の声に耳を傾けて信頼できる大人に相談してみてください。


親として、普段は理性的であっても、子どものこととなると、つい「かあっと」感情的になってしまう瞬間は誰にでもあります。しかし、それが度を過ぎて身勝手になると、最も危険な「親熊」になってしまいます。しかし、私は、このブログで述べたような知性や理性を見失った「くまった人」になることがないよう、常に自らを省み、心の器を大きく保ちたいと強く思っています。子どもたちと共に、理性を磨き、知性を育んでいきたいと思っています。

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