1. 「強くなれ」と背中を押してくれた恩師の言葉
今から30年以上前、私自身が中学3年生だった頃の話です。当時通っていた弥生塾の高田先生から、こんな言葉をかけられました。
「勉強とは、勉めることで強くなることを意味するんだよ。」
この言葉は、私が中学3年生だったころの思い出の言葉の一つです。「勉強して強くならなければ」という一心で、私はがむしゃらに頑張りました。
その時の努力は、私にとっての**「頑張るものさし」**となりました。その後、人生でどんなに辛い壁にぶつかっても、「あの時あれだけ頑張れたんだから、自分はまだまだやれる」と、**前向きに立ち直るための「心のありよう」**を育んでくれたのです。かつて、講師とラーメン店経営を両立していた私を、先生は「鉄人かメロスだ」と称してくれましたが、その行動力の源もこの「強さ」でした。
2. 50代になった私が気づいた「真の強さ」
しかし、50代になった今、私があなたたち生徒に本当に身につけてほしいと願う「強さ」は、少し違います。それは、**「人から信頼されること」と「他者への優しさ」**です。
勉強を通じて、自分自身がタフになるのと同時に、周りの人を深く理解し、優しい人になってほしい。これが、今の私の切なる願いです。
なぜなら、強さには二種類あるからです。
- 人を不幸にする、間違った「怖さ」としての強さ
- 周りの人を守り、引き上げる、真の「優しさ」としての強さ
3. 悪口が証明するのは「心の弱さ」だ
特に今、あなたたちに知ってほしいことがあります。
誰かの悪口を言ったり、弱い子を嘲笑したりする行為は、一時的に優越感を得られるかもしれません。誰かを下げて、仲間と盛り上がることで、一種の「幸せホルモン」が出て気分が良くなることもあるでしょう。
しかし、冷静になって考えてください。
- 誰かを支配したり踏みつけにしないと、自分の価値を保てない。
- 誰かを傷つけることでしか、自分の居場所を感じられない。
これは、自分の劣等感や不安を覆い隠すための、極めて弱い心の証明にすぎません。
そして、その行為は、被害を受けた生徒から**「安心」という学習にとって最も大切な土台を奪い去り、その子の未来を蝕むという、この上なく卑劣な行為**です。
4. 勉強で得た力を「誰かを守る盾」にせよ
私たちは、人を傷つけるために、時間をかけて心を鍛えているのではありません。
勉強で身につける知識、論理的な思考力、集中力。これらすべては、**自分自身を律し、周りの人を深く理解し、困難から守り抜くための「盾」や「武器」**になるはずです。
私は、あなたたちが成長した時、自分の弱さを隠すために人を支配するような、間違った強さを持つ支配者になってほしくありません。
**強く、そして優しい人が社会のリーダーになること。**それが、私たちが目指すべき未来です。
あなたたちには、周りを蹴落とすのではなく、周りを引き上げる力を持ってほしい。そして、私たちが願う「強く優しいリーダー」に、ぜひなってください。
追記
厳しさや怖さを感じながらも、生徒思いの先生達に、私は多く出会えました。生徒の皆さんも、学校や習い事で、そういう先生に多く出会えることを願いつつ、自分も精進しなくてはと感じています。