「相似って、将来必要なんですかね?」

 中学3年生の学年末試験、数学では、相似が範囲の中心になっている学校がほとんどです。当塾の3冊のテキストを解いて、単元への自信もついてきた生徒から、半笑いの表情でタイトルのような質問がありました。単元を憎む感じではないのでほっとしながらも、この手の質問の対応って難しいですね。
 ラーメン屋でスープを作る際に使う円柱型の寸胴は、底面の直径と高さが等しく、球と同じように、全ての寸胴が相似になります。私が経営していたラーメン屋は、平日と休日で、客数が相当違い、スープも無添加で繊細だったため、使う寸胴の4種類のサイズから出汁に使う材料を細かく計算していました。もし80㎝の寸胴を40㎝の寸胴にしたら、できるスープの量は8分の1になってしまいます。こんなことを見た目だけでなく、数量でも納得することが大事です。この寸胴の使い分けが、経営状況をかなり改善してくれたので、意外と中学の数学って役立つなと感動したことを覚えています。
 こんな話をしながらも、勉強全般に、社会に生きていて、さまざまな物事や人を自分で理解し、自分なりの判断するときに、勉強で身についた知識や、解を出すプロセスを利用するはずだと伝えました。この他に判断や行動に大きく関わるものと言えば、自分の感情でしょうか。  
 相似の計量系の問題では、解法の糸口を考え、解が出なければ、着目する三角形を変えるなどの試行錯誤が必要です。try and errorからのtry it againの姿勢が身についてほしいですね。

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