「なげやりな心」が嫌いな先生の言葉:恩師との再会と、時を超えて繋がる詩心

 中学2年生の終業式の日、尊敬する臨時採用の20代の国語の女性の先生が、お別れの挨拶のためにステージに立たれました。

 私が自分自身を顧み、何事もしっかり頑張ろうと決意したのは、中学1年生の学年末試験前のことでした。中1の頃の授業や生活態度、そして恐らく交友関係が主な原因で、私は要注意人物として名前が挙がっていたようです。しかし、先生の国語の授業を何度か受けた後、「あなたの授業中の目を見れば、私が聞いていたような生徒とは違うのがよく分かる」と言っていただきました。

 当時のクラスは、決して授業に協力的とは言えませんでしたが、そんな状況でも生徒に対して諦めず、真剣に授業をしてくださる先生の切実な姿勢に、私は強く惹きこまれました。五教科で一番苦手だった国語の授業が、心から楽しみになりました。授業外で自作の詩を提出すると、先生はそれを色画用紙に清書し、丁寧なコメントを書いてくださいました。その嬉しさから、私は度々詩を提出するようになりました。

 文化祭の際、先生が顧問を務める期間限定の演劇部がありました。沖縄の地上戦をテーマにした劇で、私は裏で負傷兵の声を出す配役を打診されました。先生に頼まれたことが光栄で、声だけの出演を快諾しました。

ステージ上の先生から発せられた言葉は、今も心に強く残っています。

「私は“どうせ”という言葉が嫌いです。この中学校で生徒の皆さんから、その言葉を聞くたびに悲しくなります。」

 それは当たり障りのないお別れの挨拶ではなく、「努力もせずに投げやりにならないで」という、一言入魂の切実なメッセージでした。どれだけの生徒の心に響いたかは分かりませんが、私にとっては、人生において大切な教訓となりました。

 今、塾で生徒たちから「英語なんて捨てる!一生日本に暮らす!」「二次方程式なんて一生使わない!」といった言葉を聞く度に、あの時の先生の言葉を思い出す一方で、先生のように切実に訴えることはできず、「はい、出たダメな人の発言!」と冗談を交えつつも、「義務教育のカリキュラムで不必要なものは、ほとんどない」という持論を伝えています。しかし、あの時の先生の、ごくりと息をのむような真剣さは、自分には出せないと感じてしまいます。


再会、そして詩の繋がり

 数ヶ月後、なんと先生は学校に戻って来られました。残念ながら国語の授業は学年が違い受けられませんでしたが、文化祭では再び先生の指導の下で演劇をすることができました。

 そして、時が流れ、私の娘が中学校に進学したとき、その学校に先生がいらっしゃいました。娘は先生の授業を受ける機会には恵まれませんでしたが、生徒会などで大変お世話になりました。

 私は思い切って、お礼の手紙とともに、作文教育の書籍『浜文子の「作文」寺子屋』(鳳書院)をプレゼントしました。この本の著者である浜さんとは、講演会と座談会で一度お会いしたことあったのですが、ご本人から、「今度、出版した本のあなたの感想が聞きたいの」と手紙と本をいただき、本を早速読みました。本気で月に一度でも娘を東京の教室に通わせたいと思えるような、素晴らしい指導の様子が綴られています。感想を手紙で送ったところ、ある時、浜さんから電話があり、「編集者と居酒屋であなたの手紙を読みながら乾杯したわ。あなたが一番の理解者になると思っていた。」と言っていただきました。

 この感動を誰かと共有したいと思い10冊購入したものの、自分用を除けばこれが最後の1冊。ずっと一番読んで欲しかったのが、あの先生だったのです。目に浮かぶ作文教室の生徒たちの姿は、先生から感想をもらうために、美しいリズムと素直な言葉を念頭に、慣れない詩を書いていた中学2年生の自分自身を思い出させるものでした。


 先生からお礼の手紙をいただき、その中に学級通信が一部入っていました。学級通信のタイトルは「紙風船」。

プレゼントした本からの引用です。

 私は個人的に、子どもたちの心には、十代の早いうちから、良い詩が刻まれてほしいと願っている。厳密に言えば詩という形に表された言葉の調べを心に刻み、刻まれた言葉が描く世界を、長く魂に留めてほしいと思っている。良い詩は必ず人生の助けになる。…中略

 落ちてきたら/今度は/もっと高く/もっともっと高く/何度でも/打ち上げよう/美しい/願いごとのように

 たとえば、黒田三郎のわずか八行の、この短い詩は私自身が初めて接した十代の頃から、心を掴まれ、幾度も人生の中でリフレインされる機会を得たものだ。「紙風船」と題するこの一編を用い、…

 私が尊敬するお二人が、まさか同じ詩を愛し、その詩心を子どもたちに伝えようとしていたこと。この事実に、私は深く驚き、感動しました。先生の「どうせ」という言葉を嫌う誠実さと、浜さんの作文指導の根底に、同じ「紙風船」の詩が表す、何度でも立ち上がり、高くへと願う心や、ただ力強く上へたたけばいいというものではない、紙風船の質感のような子どもたちの繊細な心への、お二人のあたたかなまなざしが感じられます。

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